甲子園悲劇の投手・大野倫が故郷で励む野球教育 46歳になった沖縄水産のエースはNPOの代表 | 日本野球の今そこにある危機 | 東洋経済オンライン

46歳になった沖縄水産のエースはNPOの代表

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2019/06/27 16:10

現在の大野倫。故郷の沖縄県で「野球離れ」を食い止めるためのNPO法人を立ち上げている(筆者撮影)

40代以上の野球ファンは「大野倫」という野球選手を覚えておられるのではないか。1991年夏の甲子園、沖縄水産のエースとして決勝戦まで上り詰めたが、故障のために涙をのんだ。甲子園の悲劇のヒーローは巨人、ダイエーでプレーしたのち大学職員となり、このほど故郷の沖縄で「野球離れ」を食い止めるためにNPO法人を立ち上げた。

ひじの故障を隠して甲子園出場

大野倫は1973年4月3日、沖縄県うるま市に生まれた。いわゆるイチロー世代だ。沖縄水産高校に入学した当初は投手だった。1年生から有望視されていたが、最初に投げた練習試合で、初球を打者の頭部に当てた。

「その選手が救急車で運ばれたので、それがトラウマのようになって、マウンドに上がれなくなりました。投球練習は以後もしていましたが」

2年生の1990年、沖縄水産は夏の甲子園で、決勝戦まで進出。0対1で天理高校に敗れ、涙をのむ。大野は5番右翼手として活躍。夏の甲子園が終わると、沖縄水産の栽弘義監督(当時)は大野をエースに指名する。

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