プロ野球を選ばなかった男が歩んだ激動の道 小さな大投手・山中正竹は球界の第一人者に | スポーツ | 東洋経済オンライン

小さな大投手・山中正竹は球界の第一人者に

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2018/11/08 11:00

野球日本代表の監督である稲葉篤紀氏(右)と山中正竹強化本部長(左)。写真は2017年(写真:共同通信社)

 稲葉篤紀が率いる「侍ジャパン」のメンバー発表の席上、監督の横に並んでいた白髪の紳士のことを、若いプロ野球ファンはどれくらい知っているだろうか。

田淵幸一、山本浩二など昭和のプロ野球を沸かせた大スターとともに法政大学で黄金時代を築き、東京六大学リーグで最多の48勝を挙げたサウスポーだった。プロ野球からの誘いを断り、アマチュア球界にとどまった山中正竹はどんな野球人生を送ってきたのか? 『プロ野球を選ばなかった怪物たち』で当時のことを振り返った。

長嶋茂雄(立教大学)が通算8本という東京六大学リーグの最多本塁打記録(当時)をひっさげて読売ジャイアンツに入団するのが1958年。スーパースターの登場によって大きく時代は変わっていくが、それ以前はプロ野球よりも東京六大学のほうが、人気でも実力でも上回っていたという。

1947年4月、大分県で生まれた山中正竹が大分県立佐伯鶴城高校から法政大学に入学したのは、1966年のこと。その前年に日本で初めてのドラフト会議が行われている。高校時代に甲子園の土を踏むこ……(中略)…… l">記事の全文を見る⇒(東洋経済オンライン)



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